第1068回経営者モーニングセミナー

2021年6月29日(火) 鹿児島サンロイヤルホテルにて

講話者

鹿児島ユナイテッドFC
応援リーダー
田上 裕 氏

テーマ「何事も気持ち次第」

小学校のころ身長も低く喘息持ちだった自分がサッカー選手になれた事は、自信や元気のない子ども達に夢を与えることができると語る田上氏の講話です。

サッカー選手になろうと思ったのは、TVのJリーグの開幕試合をみて、自分も4~5万人の人に応援されたいと思ったのがきっかけ。小学校ではサッカーでFWとして活躍できていたが、中学校では自分だけ取り残されていった。

中学の授業で「Jリーガーになります」と夢を言ったら、皆に笑われ、いじめられたこともあった。それでもサッカー選手になりたい夢が消えることはなかった。

一般入試で城西高校のサッカー部へ。しかし1年生30人の半分の人は特待生であり、特待生がボールを使った練習をする中、最初の1カ月は基礎トレとボール拾いのみ。やめていく人もいた。

身長も低いこともあり、左サイドバックのポジションが与えられた。足が速くなるために、裸足で坂道ダッシュを1日20本と決め、2年間続けた。足も速くなり、50m走6.1秒、長距離でも2位に入るほどになった。サッカー部でもDチームからBチームにまで上がってきた。

あるとき、Aチームの九州大会にBチームも練習試合に同行する形で大分へ遠征。Aチームの決勝の時、左サイドバックの先輩がケガをし、コーチの「お前でいい」の一言で代わりに出場。足が震えるほどのプレッシャーの中、蹴ったボールを仲間が繋ぎゴールへ!また後半にもキックミスで思わぬ方向へ飛んで行ったボールを仲間が追いかけてオーバーヘッドで決めてくれた。以来レギュラーへ昇格。

後に監督になぜあの時自分を使ってくれたのか尋ねたところ、着替えの時に坂道ダッシュでできた足の裏の血豆を見て、こういう人間を使いたいと思っていたと話してくれた。

卒業後は大学のサッカー部へ招かれたが、ひざを大怪我し手術。医者から復帰は難しいといわれたが、ここで諦めたら過去の自分に申し訳ないと思い、周りの人に支えられながら11カ月かかって復帰。このけがをしたことで周りへ感謝の気持ちを持てるようになった。

FC琉球で初めてプロへ。しかし30試合結果が出ず首。その後FC鹿児島に招かれサポーター4人でスタート。その後、鹿児島ユナイテッドFCとしてJ2になり、ようやく8歳の少年の夢がかなった。

夢をあきらめない者が夢をかなえる。
鹿児島で1番の有名人になって弱い人をたすけられるようになりたい。
と最後にこれからの夢を語られました。

諦めずに継続した努力は、ちゃんと見てくれる人がいて、それが夢に繋がっていく、と思う今日の講話でした。